新たな習慣として、読書リストを作ることにした。
読書をして得た知識や、その時の感動をそのままタイムカプセルのように、
大事に保管しておきたいと思ったからである。
本当に感動したのなら一生忘れない、
というのは多分嘘だ。
日々の生活に忙殺され、その感動も、次第に薄まっていく。
そして最終的には、忘れたということも忘れてしまうからである。
「忘れたわけでない、ただ思い出せないだけだ」という千と千尋の神隠しの名台詞。
人生がかかっていることならそうかもしれないが、本のことなんてすぐに忘れてしまう。
たんに僕の記憶力が乏しいだけかもしれない。
だから読書リストをあえてブログに書く。
ノートだと多分サボる。後悔する。だから公開する。
ほとんどは自分のためであるが、もし、同じ本を読んでいる人や、本選びの参考になればとても嬉しいとおもう。
今回は10月を過ぎてしまったが、次回からは月末の習慣として書いていきたいと思う。
リストの基準は、その月に読了したモノをあげる。
アーティストのライブのセトリみたいなものだと思ってもらえれば良い。
読んだ本と、ちょっとした感想を書く。
日常的に読んでいる詩集や歌集、雑誌などは読了した!という感じ(どんな感じやねん)
になればその月に書く。
ということで、新たな習慣を始めようと思う。2023年と記入したのは、
もう何年も続けていくぞ!という表明だと思ってください。
2023年10月に読んだ本
10月に読んだ本は全部で7冊あった。ささっと紹介していきます。
ドストエフスキー『悪霊』3 光文社古典新訳文庫
9月から読み始めて、ようやく最後まで辿り着いたようだ。
悪霊の描く世界は、ドストエフスキー版地獄篇である。
物語は「ルカによる福音書」の引用から始まる。人に取り憑いた悪霊たちは豚の中に入り込み、そのまま湖にダイブし溺れていく。
何かただならぬことが起きることを予感させて物語が始まる。
この物語の1番のポイントは、大衆、そして扇動である。
人々の心を操り恐ろしい事件を引き起こす。
ドストエフスキー『罪と罰』では、主人公が、相手(悪とされるもの)を殺め、その苦しみ、葛藤が描かれるが、
『悪霊』では、主要人物その人が直接手を下すわけではない。大衆を煽り、事件を引き起こす。
そこに、この物語の凄みがあり、恐ろしさがあり、現代社会への警鐘にも感じられる。
そして、ドストエフスキー『悪霊』を連想させるのは、中島らも『ガダラの豚』である。
中島は冒頭でマタイによる福音書を引用しているが、同じ内容を引用している。悪霊たちは豚に取り憑き水へダイブ。
『ガダラの豚』も相当にはちゃめちゃで面白すぎる。作品である。
僕は中島らもの描く『悪霊』と勝手に思っている。
新興宗教、アフリカ呪術、超能力、いろんなものが登場し、事件が起きる。
ドストエフスキーの描く悪霊と同様に、何者かが、人々を扇動し、動かすのだ。
少し話が逸れるが、先日筒井康隆が最後の作品だとして『カーテンコール』(新潮社)を刊行した。
筒井康隆で一番好きな作品は『旅のラゴス』(新潮文庫)
初めて読んだ時に、こんな面白い本があったのか!と心の中で叫んだ。
こんなに面白い本がすでにあるなんて、と衝撃を受けた作品。
超能力を駆使し、失われた文明を探す旅、ときに奴隷になりながらも、最後まで旅を続ける。
いったいどれだけ旅をしたのだろう、そしてその先には一体何があるのだろう。
面白過ぎてすぐに2回読んだ。
なぜ、唐突に、筒井康隆話をしたのかというと、『悪霊』に登場する、かつて一世風靡した大御所作家カルマジーノフという人物が、これが私の最後の作品だ、といって「メルシー」という題名の詩を場違いなパーティーで何十分も朗読を始めるのである。
筒井康隆の『カーテンコール』がカルマジーノフの「メルシー」のようにならないで欲しいと強く願っている。
保坂和志『プレーンソング』(中公文庫)
主人公の青年は、同棲するために2LDKのアパートを借りたが、ふられたので一人で住むことになった。
そんな主人公の部屋に転がり込んでくる人たち。
猫と出会う。
競馬に行く。
海に行く。
ただただ、何気ない日常の会話を繰り返す。
小説を読む時に、いろいろ伏線を意識したり、実はこれが繋がっていたのでは、
とついつい疑ってかかってしまうことはないだろうか。
さよなら、といったらもう会えない、とか。そういったような。
でも僕らの暮らす日常に伏線や深い意味なんてない。
本当に何も起きない平和な小説。
だからこそ、リアルだ。リアル的な日常、と言えばいいのだろうか。
のんびり読むのにおすすめな本。
古賀史健『さみしい夜にはペンを持て』(ポプラ社)
児童文学のような優しい語り、設定でとてもわかりやすく文章の書き方を教えてくれるすごい本。
物語形式で、日記を書くにあたってのポイントを教えてくれる。
『嫌われる勇気』の著者で、今回も対話形式を踏襲しているが、今回の作品では、聞き手(タコジロー君)は、あの若者のように声を荒げたり、食ってかかろうとしたりはしないので、とても穏やかな気持ちで読み進めることができた。
文章を書くのが苦手、もっと早く長文を書きたい、という人は、この本からたくさんのヒントをもらえるかもしれない。
詳しくは前に記事を書いているのでそちらをご覧ください。
佐川恭一『ゼッタイ!芥川賞受賞宣言』(中央公論新社)
鬼才、佐川恭一の渾身のゲームブック。控えめに言って面白過ぎます。
佐川恭一は、京大の出身であるが、万城目学や森見登美彦とはまた少し違ったタイプの作風だ。
やけくそにおもろい文章を書いたぜ!というスピード感がたまらなく良い作家だと思っている。
芥川賞を取らないと全てゲームオーバーという鬼畜難易度で、何回やってもクリアできなかった。
そしてクリアした時になぜ芥川賞を取れたのかわからなかった。
ゲームオーバーになっても本は投げないようにしましょう。
岸雅彦解説100分で名著 ブルデュー『ディスタンクシオン』
佐川恭一の作品とほぼ同時期に読み始めたのだが、前述の作品で岸雅彦解説『ディスタンクシオン』が登場して、爆笑した。
本を読んでいるといろいろ繋がっていくんやなあ。
ざっくり言えば、あなたの選んだ、好きな音楽、好きな本、趣味というのは、自分で選んだように見えて、実は社会的構造によって決められている!という問いを投げかけてくる。
そんなばかな、と思いながらも、確かに小さい頃からクラシック音楽聴いてたから今も好きなんかなあ、とか、本は子供の頃から無限にあったから今も読んでいるのか、とか、学校で受けた教育も影響しているのかなあ、とかまあそんなことを考えさせられる本です。
本書は、とても長くとても難解である。
なぜなら、哲学書はあえて難解に書くことで認められる節があったから、だそうだ。なんだよそれ。
ドストエフスキー『白痴』1、2(光文社古典新訳文庫)
全4巻。半分読んだ。
純粋無垢な青年ムイシキン公爵が、ありとあらゆる欲にあふれた社会にどう立ち向かっていくのか、というのが本書の筋であると思うが、
かなりの難解である。
2巻になった途端主要人物がほとんど登場しなかったり、空白の半年間があったりと、伏線を張りまくっているのか、それとも頓挫するのか、結末はいかに。いま最終巻を読んでいます。
伏線の回収といえば、伊坂幸太郎の右に出るものはいない、と勝手に思っています。
最近の作品は読めていませんが、伊坂幸太郎に根強いファンがいるのも納得です。
さいごに
読書リストとは、一体なんだろうと今更ながらに思ったのだが、書いていてとても楽しかった。
毎月リストを作っていきます。がんばるぞ。
メルシー。
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