エッセイを読んでいる時は、とてもゆったりと時間が流れていくような気がする。
日々の生活に忙殺されて、クタクタになった時にふとエッセイを手に取る。
不思議な静寂が訪れ、心がほぐれていく。
今回は、僕のおすすめする至極のエッセイを6冊(くらい)紹介したいと思います。
エッセイというのは、著者との距離が小説と比べてとても近い。
そこに魅力を感じます。
なので好きな作家がエッセイを描いていたら迷わず読んでほしい。
そういえば、人生の土台となる読書として小説を紹介していたのが途中で終わっていましたね。
そちらも早く書かなければ…
それでは参りましょう。
島田潤一郎『あしたから出版社』(ちくま文庫)
従兄弟の死をきっかけに、一冊の詩集を出版することを決意。
「株式会社夏葉社」という出版社を一人で立ち上げた。
そこから本を作ること、本を売ること、様々な困難に直面しながらも、
「具体的なひとりの読者のために本を作る」という信念のもと、丁寧に本を作っていく様子が描かれている。
絶版となり、忘れられている本、そこにも素晴らしい本はたくさんある、
という著者の熱い思いで、今も、たくさんの本が復活を遂げ、書店で手に取ることができるようになった。
本はどうやって作られるのか、
どうやって販売されるのか、
そう言った具体的なことも書かれていて、この本を読むたびに、
ああ、いつか本に携わる仕事がしたいなあ、と思ってしまうのです。
昨年、島田さんの講演会にいった。
島田さんのあたたかな人柄と、本に対する熱い思いを直接聞くことができた。
「本は、生活に必要なもの。本がなくても生きていけるが本がある方がずっと良い。」
僕も、仕事でヘトヘトになった時に、本屋さんに寄って一冊の本を買う。
なぜかそれだけで救われたような気持ちになるのです。
終演後、島田さんと少しお話しすることができた。
仕事がつらくて、うつになってしまったときに、本が読めなくなったこと。
少しずつ回復して、やっぱり本がないと生きていけない。
というようなことを話した気がするのだが、島田さんはとてもあたたかく聴いて下さった。
お話しながら、サインも書いてくださいました。大切にしたい一冊です。
このエッセイを読み終わった時、きっとあなたは本のことをもっと好きになっているだろう。
くどうれいん『桃を煮るひと』(ミシマ社)
初めて読んだくどうさんのエッセイは、
フォロワーさんに教えてもらった『うたうおばけ』(書肆侃侃房)である。
この本を読んでからすっかりくどうさんのファンになってしまい、
出版されているエッセイは全て読んだ。
『うたうおばけ』はとうとう文庫本が発売されましたね!うれしい。
お求めやすくなりましたので、是非読んでほしい。
読み終えた時、きっと、くどうさんのことを大好きになっていると思うから。
くどうさんといえば、小説家でもあり、歌人でもあり、エッセイもたくさん書いているが、
僕の中のくどうさんは、食いしん坊である。
Xにいっつも美味しそうなご飯をつくってポストしていて、夜中に見ると危険である。
『私を空腹にしないほうがいい』という食にまつわるエッセイは、五年前に発売されたものだが、
題がが五七五になっていて、わあおしゃれだなあ、と思うのと同時にお腹がぐーっと音を立てるのである。
さて、新刊の『桃を煮るひと』は、食にまつわるエッセイだ。
寝る前に読むのにちょうど良い長さなのだが、
いかんせんお腹が空いてしまう、どうしてくれるんだ。
「友達の頑張ろというツイートを頬張ろと見間違えた」
くいしんぼうだなあ、と思うと同時にとても愛らしく感じるのである。
いつかお会いしてみたいのですが、東北在住ということなので、
なかなかイベントに行くことは、難しいのかなあ。
長田弘『私の好きな孤独』(潮文庫)
言葉の魔術師、長田弘の極上のエッセーです。
長田弘(1939〜2015)は詩人である。
詩集『世界はうつくしいと』には何度も救われた。
このエッセイは、海外文学や、ジャズにかなり広く鋭い見識をもち、それが随所に見られる。
とにかく旅がしたくなる、ここじゃないどこかに行きたくなる、そんな本です。
ここじゃないどこかへ行きたい、といえば、アニメ『宇宙よりも遠い場所』。
群馬の女子高生が南極へ行くという壮大なアニメで、もう何度見たことか…
友情ってなんだろう、というのが丁寧に描かれていて、大好きなアニメです。
登場人物もとても魅力的だし。
話がそれました。
孤独とはいったい何なのか。
それは、自身との対話であると考える。
それが楽しめれば苦痛ではないし、
できなければたまらなく寂しくなる。
孤独とうまく向き合い、孤独を愛することができるようになてば、
ほんの少し自分の生活が豊かになるような気がします。
このエッセイについてについて詳しく書いている記事があります。(それだけ好きということ)
あわせて読んでいただけるとうれしいです。
F『20代で得た知見』(KADOKAWA)
コロナ禍の書店に平積みされているのをみて、初めは、哲学書か何かかと思って、手に取ってみた。
ここに書かれているのは、殺伐な世界を生き抜いた筆者の叫びだった。
しかし、そこに広がるのは、ガラスの欠片のような、美しく、痛みを伴う繊細な文章たち。
「根がいい人は、つまり悪い人である。」
容赦はしない。
だからこそ、我々は優しい人間であり続けなければならない。
「優しそうな人だね」って馬鹿にする奴は全員消えてしまえばいい。
優しいことが全てだ。それ以上に何を望むのだ。
誰に対しても平等に優しくできる人を僕は心から尊敬する。
そして、僕もそうでありたいと常に思っている。
「言われたいことは、言ってあげたらよい。してほしいことは。してあげた方がよい。与えるを全ての行為に先立たせた方がよい。
本書を読むと、生きること、愛すること、好きなこと、
何もかもをもう一度0から問い直したくなる。
金言の宝庫だ。
たくさん引用したい文章がある。
続きは、あなた自身の目で確かめて欲しい。
そして、筆者にうちのめされてほしい。
僕の20代はきっと屑みたいなものだっただろう。
失敗ばかりだった。
だからこそ、今この瞬間を大切にしたいと思うのかもしれない。
優しくあろうとするのかもしれない。
ガッシュは言った。「優しい王様になる」と。(雷句誠『金色のガッシュ』)
今世界に足りないのは、優しさなのかもしれない。
若林正恭『ナナメの夕暮れ』(文春文庫)
リトルトゥースの僕は、何度も若林さんの言葉に励まされてきた。
今のご時世「自分探し」なんて言葉は、人をバカにするときにしか使われない。
この言葉には、元々無いものを一生懸命探している人の、滑稽な姿への嘲笑が含まれている。
ぼくはそれをいい歳こいて、今までずっとやってきた人間だ。
なぜ、自分を探さなければいけなかったか。
それは、自分がよく分からなかったからだ。
若林正恭『ナナメの夕暮れ』(文春文庫)
これは、本作の序文だ。
僕も自分がよくわからない。
なぜかうまくいかない。
そんな思いを悶々と抱えながら、僕もいい歳こいて自分を探している。
なぜ一人の時間が必要なのか。
それは、自分と会話をするためだと、若林さんは言っている。
もう、まさにそれ!となった瞬間だった。
頭の中には、リトルもりたがたくさんいて、年中会議が繰り広げられている。
本の中で、飲み会で黙っていたら先輩芸人に怒られた、というエピソードがあるのだが、
黙っているのは、つまらないからじゃない。
どうすればいいのか、
何を話せばいいか、
どうふるまえばいいか、
ビールはいつ勧めたらいいか、
必死に頭の中で考えているからなんだよ!と共感しまくった。
これが瞬時にできる人は本当に羨ましい。
社会での生きづらさを感じている人に読んでほしい、おすすめの一冊です。
寺尾紗穂『彗星の孤独』(スタンドブックス)
著者の寺尾紗穂さんは、ミュージシャンである。彼女の作る歌は、繊細かつ静謐な空のようだ。
音楽家が作り出す言葉の世界に触れてみたくてこの本を買った。
題にも惹かれた。
「社会の役に立たないからなくてもいい」「レベルが低くて中途半端だから価値がない」。
こういう硬直した考え方を前に、しなやかに返答し続けるものが、芸術であり文学ではないかとも思う。
寺尾紗穂『彗星の孤独』(スタンドブックス)
筆者の意見に同意。
文学や、音楽、絵画、ダンス。
これらの価値を決めるのは、あくまでも自分自身なのではないかと思う。
プロになるわけじゃないのに、続ける意味あるの?
それで稼げるひとなんて本当にごくわずかなんだよ。
そうじゃない。どうして芸術を遠ざけようとするのか。
個人がどのように楽しむか、どのように表現するのか、
それでいいじゃないか。
それをもっと認める寛容な社会になってほしいと思う。
ちなみに僕は、先月から短歌を読み始めたので歌人である。
そして、ブログを書いているので、ブロガーでもある。
かつては作曲家でもあった。
国語の授業で文学は不要、実用的な読み方をもっと教えるべき、
という意見もある。
本当にそうなのだろうか、と思う。
嘘だと言ってくれないか。(by鼠)
最後に
エッセイは、小説を読むときとは、また違った気づきが得られてとても楽しいです。
好きな作家がエッセイを描いていたら迷わず読むべし。
一つ一つの話が短いので、寝る前に読むのにちょうど良いんですよね。
さて、今日はどんな本を読もうかな、
そんなふうに考えている時間がたまらなく幸せなのです。
読書については、別の記事でもお話ししています。あわせて読んでいただけると嬉しいです。
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