何度も読み返して
ボロボロになった本が、
あなたの心を守ってくれる。
(pha著『人生の土台となる読書』より)
僕は、読書が好きだ。
ただ、たくさんの本を読んでいるかといえばそうではない。
どちらかというと、のんびりと気に入った本を何度も読むタイプだ。
ということで、僕が何度も読んだ、お守りのような小説5冊を紹介します。
そんなに長くない小説を選びました。なので、読書の秋にいかがでしょうか。
大切なことは全てこの本から学んだ。
まず、1冊目は、村上春樹『ノルウェイの森』(講談社文庫)。
初めて読んだのは、中学生の頃だったとおもう。
父親の本棚から取り出してきて(性描写に)ドキドキしながら読んだ。
正直、この小説の何が面白いのか僕にはまだわからなかった。
次は、大学に入ってすぐくらいだったと思う。
ここから村上主義者まっしぐら、というわけなのだが、
当時、ワタナベ君(当時はちょうど同い年)がとても大人びている、そんなふうに感じた。
女性との何気ないウィットに富んだ会話に魅了された。
ビルエヴァンス「ワルツフォーデビー」やブラームスの交響曲など、登場する音楽にも夢中になった。
学ぶことの意義、人との付き合い方、社会の醜悪さ、無常さ、どうにもならないような持て余した僕の青春を村上春樹は描いてくれていたのか!と一人静かに叫喚した。
中学生の時に村上春樹アレルギーを発症した僕だったのだが、見事に吹き飛ばしてくれたのである。
この時に僕は思った。
本は、読むべき時期がきたら、読むもので、その時まで、本は待っていてくれる、と。
本書に登場する緑という女性は、いまでも憧れだ。
「ねえワタナベ君、英語の仮定法現在と仮定法過去の違いをきちんと説明できる?」と突然僕に質問した。
「できると思うよ」と僕は言った。
「ちょっと訊きたいんだけれど、そういうのが日常生活の中で何かの役に立ってる?」
(中略)「でも、具体的に何かの役に立つというよりは、そういうのは物事をより系統的に捉えるための訓練になるんだと僕は思ってるけれど」
村上春樹『ノルウェイの森(下)』(講談社文庫)
こういうやりとりが素敵。
でも、緑の、こころの奥にある、強くて硬くおおわれた脆さ、それをうまく掬い取って寄り添う、
当時のワタナベ君にはできなかったのだろうな。
それでも緑がするいろんな質問にワタナベ君は、懸命に答えを提示しようとする。
2人の会話のやりとりが本当に好きだ。
この本は主人公が37歳の時に、当時の出来事を回想する形式で書かれている、というのがやはりポイントである。(37歳のワタナベ君は緑のことを今はどう思っているのだろう)
そして、本書の最後の一文は、当時はワタナベ君の問題だと思っていた。
しかし、僕も30代に突入して回想するように物語を追うようになると、これは「この俺が叫んでいるのだ」。と思ってしまうのである。
また、この物語には、親友の恋人であった直子という女性も登場する。
(主役の女性を適当に扱って申し訳ない)
2人の女性を選ぶ、ということを想像すると、いつも「ドラクエ5」の結婚の場面につながってしまう。
ドラクエ5では、ビアンカを選ぶのが定石らしいのだが、僕はフローラ派だった。
圧倒的ビアンカ多数なので、2回目はビアンカを選んだ。そしたらなぜか悲しい気持ちになった。
僕は無意識に、ビアンカをのちの悲劇に巻き込みたくなかったのかもしれない。
愛すべきダメ男
次に紹介するのは、森見登美彦『太陽の塔』(新潮文庫)である。
しかし、敢えてこの手記を読む人は、貴重な経験をすることになるだろう。もちろん愉快な経験とは言えまい。良薬とはつねに苦いものである。
ただし、苦いからと言って良薬であるという保証はどこにもない。
毒薬もまた苦いのだ。
森見登美彦『太陽の塔』(新潮文庫)
主人公の「私」は、休学中の5回生。
そして元カノのことが忘れられずストーキングをし、「水尾さん(彼女の名前)研究」に日々勤しんでいる。
と、書くととんでもなく危険な男と思われるかもしれないが、案ずるなかれ。
彼女に接触はおろか、危害を加えることは一切ないのでその点は安心していただきたい。
彼の日々の奮闘、バイトに勤しみ、ビデオ屋に立ち寄り、水尾さんをひとめ見るためにチャリンコで縦横無尽に京都の街を駆け巡る。
そして恋敵との醜い争い。(まさに泥仕合)そのためにくだらない策を友人達と練る。
この友人達も個性的で、面白い。
なんだかんだ青春してんなと思ってしまう。
平和的なくだらなさを書くのが圧倒的にうまいのが森見登美彦。これが魅力だなあと思う。
彼女にあげる誕生日プレゼントに、ソーラー電池で動く招き猫をプレゼントするのは良くないということも学んだ。
そして、京都のクリスマスに、一大騒動が巻き起こる。そしてそれと対極にに描かれる静謐な世界。水尾さんとの訣別。
一読目はただただ面白い小説として読んだ。
次に読んだときは、泣いた。僕も失恋したからだろうか。
森見作品は他にも面白い作品がたくさん。
『四畳半神話大系』や『夜は短し歩けよ乙女』などの京大生モノは圧倒的に面白い。
近作ではアラビアンナイトを底本とした『熱帯』も面白い。
ながいので途中で飽きる。それでもまた読んじゃう不思議な魅力が詰まった一冊。
森見登美彦作品について、しばしば、私には合わなかった、という意見がみられる。
これは僕が森見ファンだから自然と目に入ってしまうものなのかもしれない。
でも、よく考えて欲しい。全員が面白いと思う作品なんて存在しない。
賛否両論ある作家のほうが信用できる。
引きこもりたくなった時に読む本
続いて紹介するのは、ブローティガン『西瓜糖の日々』(河出文庫)である。
本書を読んで、ブローティガンのファンになったのだが、結局この作品が一番好きである。
物語の舞台は、コミューンのような場所、アイデス(iDeath)。とても静かでとても平和な場所だ。
主人公はアイデスの住人というわけではなく近くの小屋に住みアイデスを行き来している。
(完全にはアイデスに含まれていない、というのもポイントかもしれない)
アイデスは、完全な世界なのだ。そこに暴力はあってはならない。
また、それが不自然であると思ってはいけない。
日々同じ暮らしを静かに送っている。ただ、そんな完全な世界など存在するのか。
あるとすればまさに理想郷。
アイデスでのくらしに馴染めない人たちは、「忘れられた世界」へと赴く。
アイデスには、本がない。最後に本が書かれたのは35年も前のこと。
本がない、というのは一つのメタファーであると考える。思想、歴史、記憶などそう言った類の。
主人公はその本を執筆しようと日々奮闘している。
詩のような幻想的な小説。
しかし、同時にこんな「完全」な世界などないというアンチテーゼであり、誰かがそのツケをはらわなければいけない、という強烈なメッセージのようにも読める。
そのツケは一体誰に押し付けているのだろうか。
本書を読むと、文章にうっとりするのと同時に、なにかしなきゃ、とりあえず外でよか!と思ってしまう。
家でゴロゴロしている自分に喝を入れてくれるのである。(それも、優しく、詩的に)
また、本作品を読んで、真っ先に思い浮かんだのは村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』にでてくる、「世界の終わり」の風景だ。
そこでは主人公は、夢読みという職業に就いて、「本のない図書館」で夢を読む仕事を与えられる。
そう、ここは「完全な世界」なのだ。
HPが無くなった。
5冊紹介するぞ!と意気込んだのですが、3冊目にしてHPがなくなりました。ごめんなさい。
残り2冊(もしかしたら追加するかも)、はまた別の記事にて紹介させていただきます。
1冊でも読んだことがある人、話があいます。是非お話しましょう。
もし全部読んだことがあるという人。嬉しいなあ。
みなさんは、何度も読み返すお守り本、ありますか?
これまでにも本を紹介している記事がありますので、そちらも是非ご覧ください。
今回はこれでおしまいです。ありがとうございました。
応援していただけると励みになります。
にほんブログ村
コメント