我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ
(マタイによる福音書18章より)
宗教について話をするわけではない。
ただ、一度やってみたかったのだ。
一番初めの頁に何かの一節を引用する小説、のようなことを。(こういう小説好き)
それだけです。失礼しました。
今回は、「ゆるす」、ことのもたらす意義を自身の体験とともにお伝えしていきます。
ゆるすことができるのは、心に余裕が生まれたから
仕事で一杯一杯、ストレスフルな環境に身を置くと、些細なことでもついついイライラしてしまう。
しまいには、誰かに当たってしまう、もしくは当たられる。(僕は当たられやすい)
仕事でもイライラすることはもちろんあるが、それを口にしたり、怒りをぶつけることがなくなった。
そもそもイライラすること自体少なくなったような気がする。
なぜか。
隣のおっちゃんの話
隣にすんでいるおっちゃんは愛煙家である。
大体決まった時間にタバコの香ばしい香りがこちらに届いてくる。
初めは、嫌で嫌で仕方がなかった、とにかくイライラしていた。
その時は、うつと診断されたばかりの頃で、とにかくいろんな刺激に敏感になりすぎていた。
上の階の人の足音が気になって、天井をクイックルワイパーで反撃したこともあったし(だめだよ)、隣のおっちゃんがぷはーっとやりだすと、ドアを勢いよく閉めて威嚇したりもした(サイアクだよ)
とにかく、周りの人たちの存在が嫌で仕方がなかったのだろう。そうとう心が荒んでいたのだと思う。
少しずつ自分が元気になってくると、すこしずつ、そういったモノを許せるようになってきた。
みんな頑張って生活してるんだよな…そう思えるようになってきた。
隣のおっちゃんは、ベランダに椅子をセッティングし、ラジオを聴きながら(テレビの音かな?)タバコをうまそうに吸っている。
ああ、おっちゃんもひとり時間を楽しんでいるのだな、仕事の疲れを癒しているんだな、そんな風に捉えられるようになってきた。
そうすると、そのタバコの匂いがしてくると、お、今日もやってるな、1日お疲れ!と心の中でエールを送っている自分がいることを発見した。
何かを許す、認める、という感情は、自分の生活を豊かにしていくためにすごく大切なモノなのだと、隣のおっちゃんは教えてくれた。ありがとう。
その節はありがとうございました、といってスト缶でも差し入れようかな、と思いながらも、どう考えても変なやつだと思われるので、心の中で、今日も隣のおっちゃんにエールを送るのであった。
(このエピソードはnoteでも紹介しました)
僕もあなたも主人公ではない
世界は、僕やあなたを中心に回っているはずがない。モブの中のモブ、究極のモブキャラでしかないのだ。
そんなのあたりまえやん、と思えているあなたはすごい。僕はこんなことにも気づけなかった。
僕は、知らず知らずに視野が狭くなり、モブキャラであることを忘れていたのである。
自分の視点でしか物事を見ていなかった。
ミニマルな暮らしで得たいちばんのモノ
ミニマルライフは、僕にこころの余裕を与えてくれた。
自分の好きなものだけに囲まれた生活、ととのった部屋。
クタクタに疲れ切った僕を優しく迎えてくれる部屋。
ほんのちょっとかもしれないけれど、日常生活が落ち着いてくると、仕事でも落ち着いた気持ちでいられる。
テレビの音もいらないし(はっきり言って騒音)、自分の好きな時に、好きな音楽を聴くことのできる環境。好きな香りで満たされた環境。
自分の心と向き合うことのできる環境を整備することで、僕はおっちゃんを暖かい気持ちで受け入れることができるようになった。
仕事でんんんんー、となってもまあ、そういうこともあるよね、みんな頑張ってるし、疲れるよね、と思えるようになった。
部屋がもので溢れかえった、かつての僕の部屋では、できなかったことだと思う。
もちろん論証があるわけではない。でも、多分そうだ。
部屋が整うと、心に余裕が生まれる。
心に余裕が生まれると、相手の視点で考える、いや、もうすこし、広く、物事を俯瞰して捉えることができるようになった気がする。
僕は、これからも「うつ」とうまく付き合っていかなければならないだろう。
何にもしたくない日が続くこともあるかもしれない。
それでも、自分の部屋を整えておけば、なんとかなる、という気持ちに今はなっている。
あまりにも個人的なことすぎて、誰の参考になるのかはわからないのですが、部屋を整えると、いいことありますよ。これだけは確実。
最後まで読んでいただきありがとうございました。読んでくれた人が、じゃあ明日、掃除しようかな、くらいに思ってくれていたら、それだけで嬉しい。
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