はじめに
私は作家である。ただ売れていないだけだ。いや嘘だ。売れてないのは本当だが、何も売っていないのだから当然だ。もうすぐ売れてない作家になる予定だ。大きな一歩である。
連載というのは、本来、雑誌など誰かに依頼されて始めるものかもしれないが、当然ながら無名の僕に声がかかるはずがない。
それでも何かを続きもので書いてみたいという憧れがあった。
それなら自分のブログで「連載もどき」をやってみたら良いのではないか、という思いつきで書き始めることにした。
生粋のなまけ者である僕が、普段感じている生きにくさや困りごと、そしてなまけ者として生きていくための処世術のようなモノをエッセイのような形で書いていこうと思っている。
記念すべき第一回は、仕事について日々感じていることを書いていこうと思う。
働きたくないわけではない
僕は、働くのが嫌いだ。できることなら一日中ゴロゴロしていたいと思っている。
ただ、今年に入って、文学フリマにむけて原稿を書いたり、八七一珈琲さんとコラボで小説を書かせてもらったりしていく中で、こういう活動は嫌じゃない、むしろいくらでもやってやりますよ、という気持ちになった。
毎日朝早くに起きて、夜遅くまでくたくたになって、もう家に着いたらHPは残っておらず、ただ寝るだけ。一体僕はなんのために生きているのだろうか。
初めこそ何か役に立ちたいという気持ちはあったかもしれないが、精神がすり減っていくにつれ、会社のために働くという精神はもはやなく、お荷物かもしれない。
だが、それでも別に良いのではないかと思うようになった。
サボるわけでもなく、やるべきことはやる、ただ期待以上の仕事はできないがそれでお金が増えるわけではないのだから、それを求められても困ってしまう。
もう期待も何もされていないかもしれないが、なんだか気持ちが楽になった。
数年前に体を壊したことをきっかけに、周りの人に頼る、できないことはできないと言うスキルを身につけた。
聞くは一時の恥、というがもはや恥ずかしいとも思わなくなった僕は無双である。
座り続けるのが苦手
もともと集中力散漫でつい気を抜くと違うことを考えてしまうような、まあまあダメな人間ではあったのだが、うつになってから集中力というのが皆無になってしまった。
席を立ち、外で深呼吸をすると、気持ちが楽になるので、危ないなと思ったら、お手洗いに行くと言って、そのついでに外の空気を吸っている。
この人は、健康のために毎日水をたくさん飲んでいる、ということを示しておく。ああそれならトイレに行くのも仕方ないよね、と思われているはずである。さすがに「僕のこと頻尿だと思ってますか?」とは聞けない。
こうやって小さなことだが、自分がより快適に過ごせる環境を整えていくことで、仕事が終わってもまだ少し活動ができるだけの余力が残るようになってきた。(そのおかげでこうして文章を書いている。)
集中力は習慣で補う。
僕は読書が好きだ。おそらく僕のことを知ってくれている人は僕のことを本が好きな人、読書家だと思っているだろう。
しかしながら僕は30ページ以上本を一度に読むことができない。
これは先述した通り集中力が欠如しているからである。
本が一気に読める人や月に何十冊も本が読める人を僕は羨ましいと思っている。
できないものは仕方がないので、僕は別の方法でアプローチする。
朝電車で30ページ、帰りの電車で30ページ、寝る前に20ページ、とすれば一日どうにか80ページくらい読めるので、3日〜7日くらいで本を読み終えることができる。
その時に読んでいる本のジャンルや厚さによってまちまちだが、これを継続しているおかげで、月に七冊は読むことができている。
同じように、寝る前に10分間noteに日記を書く、空いた時間を使って五分ずつブログを書く、作品を書くなど短時間で自分の持ちうる限りの集中力でなんとかやりくりしている。
イメージとしては集中力の最大ゲージが人よりも小さい。なのですぐに使い果たしてしまう。しかしながらゲージが小さい分回復もすぐに完了するのではないか、と勝手に解釈している。
突然自由に時間を使っていいよ、と言われたら多分ごろごろして終わってしまうだろう。
なまけ者の行動パターンはターン制コマンドバトルと同じ。
なまけ者である僕は、一度にたくさんのことはできない。1ターンには一度しか行動できないRPGと同じである。
なので瞬発力を求められるアクションゲームのような立ち振る舞いはできない。
さいごに
こんな感じで、勝手に連載が始まりました。ゆるゆると、なまけ者の僕がどうやって生き延びているのかを紹介していく感じの記事にしていこうと思います。連載なので、人気がなければ打ち切られます。悲しいけれどそういうものですよね。なまけ者のプロフェッショナルになることを夢見て。
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