息ができなくなるくらい、苦しくなる。
そんなに強くいわなくても、彼は十分反省してるし、理解している。
僕が職場で抱えるストレス、ダントツの1位は、「他の人が怒られている場面」である。
その後の粗暴な動きや、物音が、僕には爆撃のように感じてしまう。
とにかく怒られていた後輩に声をかけなくちゃ、どうフォローしたらいいのか、勝手におろおろしてしまう。
何か起きそうな空気、というのがある。
僕はそれをいち早く察知してしまい、仕事どころではなくなってしまう。
勝手に苦しんで、勝手に辛くなって、勝手に悩みまくる。
自分が怒られるのは、ある程度仕方のないことだと思う。
落ち度があれば、それを素直に認めるし、改善する。
他の人たちも、同じように悩み苦しんでいるのだろうか。
ふと、周りの人たちを見渡してみる。
心の中は、当然見えない。
でも、黙々と仕事をしているように見える。
僕は、弱いのだろうか。
苦しくなって、逃げ出したくなる。
仕事どころではなくなっているので、気持ちを落ち着けるために、非難する。
お手洗いに行く。
外の空気を吸う。
僕が怒られているわけではないのに、どうしてこんなに苦しいのだろう。
どうして大人同士なのにそんなに怒る必要があるのだろう。
ミスを指摘し、どうすべきか考えさせる、それだけじゃダメなのだろうか。
何もいいことなんてないのに、どうしてそうなってしまうのだろう。
僕の心のオアシスは、事務のおばちゃんである。
HPが吸い取られたときに、事務室に駆け込む。
たわいもない話をして、心を落ち着ける。
お茶を飲みながら、ちょっとつらくなってまた来ちゃいました、というと優しく迎えてくれる。
もりたくんは怒ることはないの?怒ったのをみたことないけど、と聞かれた。
今は、怒ることはないです。ただ、最初は、なめられないようにしなくちゃと構えていたことはあります、と正直に打ち明けた。
ふと、僕の怒りはどこへ行ったのだろうか、と思った。
イライラすることもあるし、起こりたくなることもあったはずだ。
その気持ちは、いったいどこへ消えたのか…
もしかすると、僕は、僕自身と会話をすることで、上手くやり過ごしているのではないかと思った。
日記を書く、自分の気持ちを文字にする。
どうして辛くなったのかを自分に質問してみる。
書き溜めた過去の自分の気持ちと時間をおいて会話をする。
過去の自分と今の自分の交換日記。
文字を書くことで、僕は、この弱い自分をなんとか守っているのだと、思った。
強いか弱いかと聞かれれば、確実に弱い。
村上春樹の小説に『鼠』と呼ばれている青年が登場する。
僕は、苦しくなるといつも『鼠』のことを考える。
本当の弱さについて、考える。
鼠に寄り添う。
どんどんだめになっていく鼠の姿を想像すると、とても辛い。
鼠のことが、好きなのだ。
鼠のいう本当の弱さについては、わからない。
弱さというのは、とても個別的なものだから。
それでも、その弱さをわかろうとする努力は必要だ。
どれだけ時間をかけても、たった一人の人さえ完璧に理解することなんてできない。
でも、理解しようとすることはできる。
それをすっ飛ばして、頭ごなしに怒りをぶつけることが、どうしても許せない、のだと思った。
心によりそうことができる人になりたいと思う。
こうして文章にすると、ほんの少しだけ、心が救われた気がする。
自分とゆっくり向き合う時間が、大切だなと思いました。
もし、いま、何かに苦しんでいる人がいたら、こうして文章を書いてみるといいかもしれません。
日記でもいい、メモでもいい、支離滅裂でもいい。なんでもいい。
なにか未来の自分のために残しておく。いつか役に立つ時が来るから。
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