繊細な人は、生き残れないのか。

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うつは、心の病という曖昧な物ではなくて、脳の病気なんですよ。

たしか、数年前に初めて心療内科を受診したときにそう説明された。

難しいことは忘れてしまったが、過度なストレスに晒されて、セロトニンという物質が不足して、脳がうまく働いてくれない状況なのだと言われた。

とにかく、無気力なのだ。

ひどい時は、本を読むことができなかった。

簡単な計算ですらうまくいかない時もあり、100マス計算で負けたことがなかった僕のプライドはズタズタになった。

文字を追いかけるだけで、目が回る感じがして、それがただの文字の羅列としてしか認識できず、

大好きな読書が取り上げられてしまった気持ちになってとても悲しかった。

悲しかった、というのも後からそう思うだけで、その時はきっと何も感じなかったのだと思う。

これが社会に出ることなのか、と考えると悲しくなった。

弱い人間は、追いやられ、偉そうに威張っている奴が上に上がっていく。

システム。

そういうものなら仕方がないのだと思う。

それでも、あまりにも優しくない世界だな、と時々思う。

同じ境遇で、苦しみながらもなんとか頑張っている人たちもたくさんいる。

それでも頑張れない僕は、ダメなのだろうか。

世の中甘くない、と何度も言われた。

その通りだと思う。

それを何度も聞いて、努力するけどやっぱりうまくいかない。

それは努力が足りないからだ。とも言われた。

まあ、そうなのかもしれない。

必死でやっているつもりで、実はボートがぐるぐる同じところを回って前に進んでいないのと同じかもしれない。

それでも自分のことが好きでいたい。

多分自分のことを好きでいられなくなった時が、一番辛いと思うから。

だから、自分が楽しいな、と思えることをやりたい。

僕は、文字を書いている時が一番落ち着く。

紙に書くのもそうだし、こうしてカタカタと文字を打っている時も。

文字を書いていると、だんだん落ち着いてきて、少しだけ人に優しくなれる。

そういう自分でありたいと思う。

最近、うつだと診断される前の自分ってどんな感じだったのかな、と考える。

うまく思い出せないのだけれど、あんまり変わらないんじゃないかなとも思った。

学生時代もよく繊細すぎると言われたし、カウンセリングにも通っていたし、そう思うとあんまり変わらないなと思った。

その頃は、音楽作りに没頭していた。

作家のエッセイを読むと、薬の話やうつの話がよく出てくる。

繊細な心の持ち主だからこそ描ける世界もあるのかなと思った。

僕たちはそうやって苦しみながら生まれたものをありがたく受け取り楽しんでいる。

ここでふと、表現者には繊細な人が多い、

ということは、自分も何か表現することができるのではないか、とあまりにも論理が飛躍していることを思いつく。

繊細な心は、表現者にとっての十分条件であり、必要条件ではないというのに…

まあ、そんな勘違いから、僕はブログを始めた。

こうやって、何かを発信することは、たとえどれだけ時間がかかったとしても苦ではない、ということがわかっただけでも僕の中では大きな意味を持つ。

生きていくことは、苦しいですが、それでも素敵な瞬間はきっとある、そう信じて書き続けるしかないのです。

たった一人でもいい、誰かに届けばそれは本当に素敵なことなのだ、と思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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読書×ミニマルライフで自分らしい暮らしを模索しています。
おいしい珈琲を淹れて、大好きな読書をしてのんびり過ごしています。
ミニマリストとしての生活や読書で学んだことなどを発信していくブログです。

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