前回のひとり遊び記事が好評だった、わけではないのだが、楽しいので第2弾を決行することにした。
前回のをまだ見ていないという方はこちらをどうぞ。
それでは、ただのひとり遊びですが、さいごまで読んでもらえると嬉しいです。
あなたの未来は変えられます。
未来は変えることができるのか?
まあ、こういうのよくありますよね。
ぼくは、ふと「未来」と「変える」いう言葉に違和感を持った。
まず、未来とは、何なのか。
おそらく未来とはなんですか?と誰かに尋ねたら、
明日、3年後とか、老後、とかそう言った答えが返ってくるだろう。
なんとなく、明日も朝日がのぼって1日が始まると思い込んでいるが、果たして本当にそうだろうか。
未来なんて何も保証されていないのではないか。
今日眠ったら目を覚まさない可能性だってある。
もちろんその可能性は限りなく低いので、僕たちには未来があると思い込んでいる。
5年後、10年後のことを想像することもある。
だからといって貯蓄は無意味だとか、大魔王がやってきて滅亡するとか、そういうことが言いたいわけではない。
未来とは何か。
結局はまだ何も起きていないことなのだ。ゼロだ。
だから、「変える」という言葉にひっかかったのだと思う。
変えるとは、A→Bみたいに、なにかあるものをべつの何かに変換することである。
何が言いたいのかというと、未来を変えることなんてできないのだ。
ないものを別の何かに変えることは不可能なのだ。
ただ、結果的に未来を変えうる状態を作り出すことはできる。
変化させるのは、「過去」、そして「今」だ。
過去を捉え直す
過去は変えられる。
もちろん起きたことそのものが変わることはない。
変えられるのは、自分にとっての捉え方だ。
恥ずかしい経験をした過去をトラウマとして認識するのではなく、
ひどいことをしてしまった。それ自体は変えられないが、
なぜそうしてしまったのかをもう一度見つめ直すことで、人間関係が豊かになるかもしれない。
誠心誠意謝罪しようと思いなおすかもしれない。
人は、そんなすぐに変われない。という。
一方で、自分を変えたい!と切望する人たちもいる。
一度全てリセットしてまっさらになればうまくいくと思っている。
要するに過去を無かったことにしてしまうということだ。
おそらくそれもうまくいかないだろう。
ゆっくりと過去と向き合う、という時間が必要なのではないかと思った。
過去と向き合うのは辛いことかもしれないが、
辛いと認識しているだけの幻影にすぎないことだってあるかもしれない。
どうしてこんなことを考えたのかというと、久しぶりに村上春樹の小説を読んだからである。
村上春樹の登場人物は、過去にとらわれてうまくいかない人たちが多い。
アドラーに言わせれば、過去なんか関係ない、今に強烈なスポットを当てよ!と言われるかもしれないが、
こういうの小説とかに使えそう。ふふ。
自分自身を再認識することで、ぼくは、今の辛い状況をなんとか抜け出すことができるのではないかと考えてしまうのである。
失敗がわらい話にできるくらいになれば上出来だ、と誰かに教えてもらった。
過去を変えるとは、結局そういうことなのかもしれない。
今、とは何か?
さて、この瞬間にも、この文章は「過去」のものである。
「今しかできないこと、しようぜ!」
青春時代に言いそうで言わない言葉ランキング3位くらいのセリフですが、
この今は、厳密には今ではない。不確定な未来を指している。
「いつやるか、今でしょ!」
これはまさしく今現在を指している、さすが現代文の講師。
自己啓発本を何冊も読めば大体同じことが書いてある。
今を全力でとか、今すぐ行動せよ。
とか。全くもって正しいと思う。
ただ、実際にやってみたことを振り返る時間は、やっぱり過去なわけで、
過去を蔑ろにすることはぼくにはできない。
それは、読書が好きだからだろうか。
本とは、過去の記憶、記録どちらでもいいが、それの集積物である。
そしてぼくはその過去を慈しむのである。
さいごに
ひとりで色々考えるのは楽しい。
今!未来!という風潮に抗うかのように過去を大切にし、過去を捉え直すことによって、
自身を深みのあるおじさんに仕立て上げてくれるのではないかと思っている。
そういうのを世間では、頑固とか、意固地とか言われてしまうのかもしれないが。
ということで、0円ひとり遊びにお付き合いいただきありがとうございました。
ずぶの素人なので、こういうの詳しい人教えてください。おすすめの書籍とか。
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