秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行
今日はまさにそんな感じ。これから涼しくなると良いですね。
今日は最近読んで、とってもよかったエッセイのご紹介です。
こんな人におすすめ
・こころについて考えてみたい。
・自分の生活を見つめ直したい。
・クスッと笑える面白いエッセイが読みたい。
面白くってタメになるそんな素敵なエッセイです。
(グッとくるところがありすぎて、付箋だらけ…ちなみに今使っている付箋すごくおすすめです。)
著者プロフィール
著者の東畑開人さんは、1983年生まれ。臨床心理士、公認心理士としてご活躍。
十文字学園女子大学准教授、そしてカウンセリングルームを白金高輪に開業。
今回紹介する『心はどこへ消えた?』は、コロナ真っ只中の時期に週刊文春に約1年連載されたものをまとめたものとなっています。
週刊誌連載なので、一つ一つの話は短く簡潔で、かつユーモアに溢れた文章です。
心は、どこにあるのだろう?
絶えず問いかける。心は、いったいどこにあるのか、と。
心は目に見えず、手で触れることもできない。顕微鏡にも、X線にも映らないのが心だ。心に触れるには心を使うしかなく、心を見えるものにするには言葉を使うしかない。(p149)
普段僕たちが、こころと何気なく呼んでいるものは実際よくわからない、どこにあるのかもわからない。でも、心がない、とは誰も思っていないはずだ。
だからなんとか言葉で自分の気持ちを、自分の苦しみを、自分の辛さや過去を、語るのである。
超自我に気をつけろ!
超自我とは、簡単に言えば自分を管理している脳内センサーみたいなものだ。
嫌な人、怖い上司、それが夜になると脳内に現れて、僕を襲う。それがどんどん膨らんでいく。厄介だ。しかし、東畑はこう言っている。
多くの場合、現実は超自我よりマイルドなのだ。同僚と顔を合わせないままに仕事をしていると、だんだん超自我の声が残酷になってくる。現実の上司に、心の中の上司が投影されるから、実際よりも残酷な人に思えてくるのだ。(p59)
そうなんだよ、失敗した次の日とか、連休明けとかきついなあと思っていたのは、これだったのか!
たしかに実際に会って見ると現実の上司は優しかったりする。拍子抜けである。
あの苦しみはなんだったのか。…超自我恐るべし、気をつけましょう。
物語は傷跡である
物語は傷つきを核として生まれてくる。日々のカウンセリングもそうだ。クライエントが語るのは物語未満のお話だ。それはまだ生傷であり、痛みがあるから、物語にはなっていない。(中略)だけど、それを何度も何度も語り直す。すると、きれぎれの話が少しずつつながっていく。物語になっていく。その時生傷はかさぶたになり、薄い皮膚に覆われるようになる。物語るとは、傷を柔らかい皮膚で包み込んでいく営みだ。(p110)
だからこそ語らなければならない。辛いことを、上手く言葉にならなくても良い、ただ、辛いと言うだけでも良い。それさえも初めはわからないだろう。何が辛いのか、何が苦しいのか、わからない。
それでもなにか言葉にしようとする。そこから全て始まるのだと思った。
バジー東畑
このエッセイでは、東畑は「バジー東畑」という筆名で、楽しく可笑しくエッセイを書くことを心がけている。(バジーの由来はぜひ本で読んでみて)週刊誌の連載なので、面白くなければ誰も読んでくれないよなあ、と著者は語る。
今回紹介したのは、本書のほんの一部。
クライエントとの奮闘記、大学の講義を誰も聴いてくれないという愚痴、そして学生時代の失敗談、禁煙できずにやけくそになった話、面白い話が盛りだくさん。
しかしながら、この1年間連載を通して、(しばしば脱線しながらではあるが)、たえず読者に心とはなにか、どこにあるのかを問いかけてくる。
本エッセイの1番の魅力は、ユーモアと真面目さの良い塩梅、と言うことになるだろうか。
そんな楽しい時間を経て、エピローグにたどり着いた時、この本の1番伝えたいメッセージがあなたに届くはず。おすすめのエッセイです。
読書の秋、何か本でも読んでみようかなという人。まずは気楽に読めるエッセイをどうですか?
こちらの記事でもおすすめのエッセイを紹介しています。
最後に
この先、なにか辛いことがあった時、また手に取って読み返すだろう。そして、バジーさんの曲芸に助けてもらうとしよう。
今回はこれでおしまいです。ありがとうございました。
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